「地域のアイデンティティの再生」と「稼ぐまちづくり」:天草大陶磁器展の記事からの一考察

日経BPの6/27記事に天草大陶磁器展が紹介されていた!

第5回 熊本県天草市――陶磁器のブランド化などで移住者数は県内一 | 新・公民連携最前線 PPPまちづくり

修士課程に進学して初めてフィールドワークとして訪れたのが天草だった。以来、この南の島に何度となく足を運ぶことになった。大陶磁器展も2度訪れたことがある。

天草大陶磁器展を題材に、地域再生軸足は「地域のアイデンティティ復権」か「稼ぐまちづくり」か、どこにあるべきかを考えてみたい。

 地方でものづくりで生きていくことは厳しい?

私は今九州のとある自治体に住んでいるが、そこでもU・Iターン人材たちがものづくりを行っていて、最近はそれをどうやって売り出すかが焦点になってきている。ちなみにここで言うものづくりとは、主に個人事業主(またはごく少数の従業員を抱えた企業)が行なう、手仕事ベースの工芸品産業のことである。

田舎でものづくりをするということの特徴は以下のようなものだろう。

  1. 環境的な要因:土地や家賃が安く、初期投資が少なくてすむ。自然や景観、民俗文化などに富み、インスピレーションを受けることが出来る。また騒音も気にしなくて好い
  2. 精神的な要因:厭世的、隠遁的な生活とまでは行かなくとも、煩雑なコミュニケーションや世の中の主流派から(少し)外れることを志向する点
  3. 制度的要因:2010年代からは特に、人口の一極集中と地方からの人材の流出の是正を目指す政策が活発化したため、移住定住・創業の支援制度がある点

以上のようなことがメリットである一方で、デメリットも大きい。

  1. そもそも田舎に市場がないため、地域外などに取引相手を抱えていれば問題ないが、創業やスタートアップにはハードルが高い
  2. そして同業者や先達の不在。あるいは田舎特有の閉鎖性でコミュニケーションがとれない 
  3. 競い合いの関係が無いためにクオリティを保つのが難しい(人によるが)

特に、市場がないことは問題だ。商品を作っても地方にニーズがないため、対人ベースの販売はせいぜい糊口を注ぐことにしかならない。

 

ものづくりのブランディングと地域

地方に市場が無ければ、地域外へ市場を見い出す必要がある。インターネットなどを介せば世界へ売っていくことも容易だ。

だが現実には、ネットが発達したとは言え、個人がウェブサイトを運営しつつ精力的にものづくりを続けていくことは簡単ではないし、だからBASEのような委託販売サイトが存在している。こうしたサイトはカスタマーへの商品情報の提供を極めて簡素化し、かつある種の見え方をデザインしてくれるため、個人のものづくりの良い受け皿となっている。つまりブランディング(の一部)を担っている。

筆者はマーケティングの素人なのでブランディングについては詳しく知らないが、現在の日本で盛んなのが「地域」というブランディングのあり方だろう。

そしてその意味で天草は地域のものづくりを、天草大陶磁器展を通じてブランド化している。

 
文化的な資源の活用による、地域アイデンティティの再生1

「陶石の島から陶磁器の島へ」と題した住民決議を採択したのが、2000年。その翌年に「陶芸のまちづくり事業」を立ち上げ、他の産地との技術交流や海外の陶芸家の招聘などを企画。さらに陶芸の産業化を目指して、現在の「天草大陶磁器展」をスタートさせた。

第5回 熊本県天草市――陶磁器のブランド化などで移住者数は県内一 | 新・公民連携最前線 PPPまちづくり

2000年に開催された第13回県民文化祭「ミレニアム天草」での国際陶芸シンポジウムにおいて、「陶石の島から陶磁器の島へ」と題した決議文が採択され、天草市は、2001年度からの3年間、「陶芸のまちづくり事業」を実施した。そして2003年には、天草陶磁器が国の伝統工芸品に指定された。

【熊本県天草市】陶石の島から陶磁器の島へ ~天草陶磁器のブランド化と観光振興~ | IRC|株式会社いよぎん地域経済研究センター

地域のブランド化と密接に結びついているのが、地域資源(地域の文化資源)という考え方である。グローバル化の進む世界において、ファストフードなどのグローバル企業の商品文化は分かちがたく私達の生活に入り込んでいる。

一方でローカルなモノ・コトは情報化されにくく、流通量もすくない。そもそも現地に行かなければ触れられないものもあり、それだけ1次情報に近いため、俯瞰的に見た時に価値が高い。

フレンチのフルコースが大都市であれば世界中で食べられる一方で、地方で当たり前のように食べられる郷土料理は、地域の婦人会の手によって作られなければ味わえないのだ。

文化的な資源の活用による、地域アイデンティティの再生2

数ある天草の文化資源の1つが陶石である。だからそこで陶磁器を作るという正当性や妥当性は十分にある。地域のアイデンティティの再生策として、産業振興として「陶石から陶磁器へ」の転換を図ったのである。

では「そういう資源の無い地域では何もできない」、「妥当性が無い地域では何もできないのでは」と思われるけど実はそうではない。重要なのは、次の2点

  • 住民や産業の関係者たちが「陶石の島から陶磁器の島へ」という発想の転換をしたこと、つまり「地域の(文化)資源を見つめ直したこと」が重要。
  • そして「内発性」で、どれだけ地域住民や産業の担い手達が奮起して、地域内の開発を独自に行っているかということ。

陶石ほど明確な素材ではないかもしれないが、どんな土地にも歴史や文化・風習があり、それを資源化することと、自律的に行なうことに、まちづくりの核がある。

同時に、ジオパークに認定されるなど、観光および郷土教育に、天草陶石の元となる、豊かな地質資源の存在が積極的に活用されている。また、天草で作られている陶磁器の殆どは、基本的には日常雑器であり、日々の暮らしの中で手にとることが出来る。地域の資源を活かしたものが、地域の中で学ばれ、使われるということも、地域のアイデンティティを再生する上で重要な事だ。

 稼げるまちづくり

ところで、展覧会や物産展、特にこうした手工芸品・雑貨モノは、それ自体はそこまで金を稼げるようなコンテンツじゃないな、と思う。なぜなら大量生産が出来ないため、大きな消費は前提にできないし、カスタマーは一般的なファミリー層が主流だからだ。

さらに作家が技術を内面化できるようになるためには途方も無い修行期間が必要だったりするわけで、その時まで含めた人件費は度外視されている。それに1つ1つの品物が手頃な価格(皿1枚が2、3,000円〜高くてもせいぜい数万円)なため全体の売上も規模も決して大きくはない。

 

なのでこうしたフェアなり物産展なりをある程度継続して行えるようにする為には、公的な資金が無ければ開催自体が難しい。

この点、天草市は13年間にわたり陶磁器産業の振興に注力してきた。この陶磁器展も天草市経済部商工観光課が主体の実行委員会形式により開催される。

天草大陶磁器展の総予算は約2600万円。その半分を市が負担し、残りを陶磁器販売の手数料、各種イベントの入場料収入、物販などでまかなっている。「昨年は黒字化し、その利益で島内の陶磁器マップを作成、それによって個人工房にも客足が伸びた」

総予算の半分、約1300万円を市が負担しているという。ちなみにH23年度の総務省地域政策動向によれば、事業費は一般財源から約850万円だったので、事業費は年々増加傾向にあるようだ。

現在、政府は「まち・ひと・しごと創生」の総合ビジョンの一環として地方の生き残りを賭けて「稼げるまちづくり」を公民連携で進めている。空き家対策、移住定住、伝統的な町並み、観光、地場産業、健康…など「稼げるまちづくり」は多岐にわたる。

天草大陶磁器展のような事業をやれるということは、地方都市では希望的に目に映る。

「天草大陶磁器展」は複数の政策のあわせ技の一部

天草市も独自の「まち・ひと・しごと創生総合ビジョン」を策定しており、その施策の中で、

天草陶磁器の産地化、陶芸家から選ばれる島へ

を掲げている。

天草の陶磁器産業はものづくりが基本である。大規模な陶磁器メーカーが不在の一方で、小規模な生産者達が軒を連ねており、その門戸は常に新しい人材に向けて開かれている。親となる窯元が居るおかげで、子となる新規陶芸家たちが入り込むことができる。つまり移住・定住促進政策と雇用政策が合わさっているのである。そして、天草大陶磁器展の存在は観光振興であり、ブランディングである。こうした複数の政策のあわせ技が、民間の陶芸家たちと、行政の協働によって実現されているのだ。

 

 地域再生軸足は「地域のアイデンティティの再生」か「稼ぐまちづくり」、どちらか

地域のアイデンティティの再生は詰まるところ、どれくらい愛着を持って地域に接しているか、より具体的に言えば地域の様々な資源をどれくらいの頻度で使い、愛で、それによって楽しんでいるか、によって測られるのではないか。
文化資本は親から子に継承されるというが、天草の場合、地域の窯元で作られた食器で、親と子が食事を楽しむことに日常的であればあるほど、地域のアイデンティティは形成されやすい。

天草の丸尾焼は熊本震災の復興として、2016年夏に熊本市現代美術館にて「丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓」を開催した。被災すれば日常から器が消え、紙皿などで食事を済ませることも多くなる。食事風景の写真を送れば器が1枚もらえるというこの展覧会はartscapeにも取り上げられた。

「表現の森 協働としてのアート」/「丸尾三兄弟 〇O(マルオ)の食卓」:キュレーターズノート|美術館・アート情報 artscape

 

一方、そうした人々の生活に根付いた陶磁器の文化が、衰退著しい地方都市の起爆剤となることがこの13年の天草大陶磁器展の取り組みからわかる。もちろん同展にも様々な課題はあるだろうが、成果はきちんと上がっている。

同展は2016年11月開催の前回で13年目。第1回は島内外から33窯元が参加、来場者数は約1万1000人、売り上げは約500万円だったが、前回は約100窯元が参加、来場者約2万2000人のうち半数を島外客が占め、売り上げ約3300万円と大幅に規模が拡大。市の試算では、島内への経済波及効果は1億円にも上るという。

しかし時に、政策目標を達成することに主眼が置かれすぎるときもある。

暮らしの根幹にある食文化を大切にしたいという想いを支える陶磁器が、効率性や収益性ばかりが重視されてしまい、一部のアートフェアのようになってしまわず、常に人々に寄り添ったものとしてあって欲しいと願う。

そのときにはじめて、地域の文化が、真に他の人々に受け入れられ、その地域が発展するということになるだろう。天草の陶磁器という文化資源を活かした地域再生の取り組みは、その1つの態度を私たちに見せてくれているのかもしれない。