社会と関わるアート…"SEA","アートプロジェクト"

長い前置き

アートと社会の関係を考えたことはあるだろうか。

大雑把だが、少し歴史の話をしたい。

 

かつて、近代以前、アートは王侯や宗教、特権階級が権力の誇示と密接だった。そもそもアートというものが単独で存在するのではなく、装飾などの役割を担っていた時代。これを第1世代と仮称しよう。社会は封建的で、階級も固定的だった。

 

さて、市民主体の国づくりが進んだことで、美術館に行けば絵画や彫刻、インスタレーションや映像作品を観ることが出来、劇場に行けば舞台や音楽を楽しむことが出来る。アートの民主化の進展だ。これを第2世代と捉えてみたい。社会は民主主義を前提としていて、平等な社会が成立した。日本もこれに倣った、世界的な動きだ。

しかし逆に言えば、アートを享受する機会を人々が自ら捉えていかなければ、アートに触れる機会はそうそう多くないのも現実だ。それに、社会的な平等とはあくまでも理念的で、社会には未だ貧困や差別と偏見が大きな問題として残っている。アートに触れる機会は偏在していて、一部の人はアートを観て語り合うことすらままならず、その一部はアートを嫌ってすらいる。アートが自分に何もしてくれない、利するところのないものだからだ。

 

だが世の中を見渡してみよう。最近ではそういう専門施設を飛び出して、街なかや廃校、使われなくなった工場などでもアートを観て楽しむことが出来る。さらに観光や自治体の政策と結びついた芸術祭やアートプロジェクトも盛んであるし、高齢者や障がい者、マイノリティも含めてアートを交えて支援していく取り組みは全国的になった。

こうした社会の動きに反応していく動きは、ますます加速している。これは第2世代が「思いさえあれば誰でもアートに触れられる」という状況を「受動的」だとしてより「能動的」に人々、市民社会へ関与していくアートということができそうだ。いわば第3世代のアートだ。

第3世代のアートは、根底に「社会的な正義(Social Good)」を前提としているように思える。つまりそれは、第2世代がなし得なかった真の意味でのアートの民主化を可能にしつつある。そこまでお膳立てをしても、アートに無関心で、憎んでいる人もいるだろうが、それは個々人の自由だ。

 

こうしてみると、いよいよアートはここ150年ほどの間に、その性格を大きく変えたのではないだろうか。しかし、果たして本当にアートが、社会に深く/広く関わることが市民社会にとって、またアートにとってよいことだったのだろうか?また、どのような成果や課題が、アートと社会の関わりで生まれたのか?

 

 

イベント概要

6/25(日)、Fukuoka Growth Next(旧大名小学校)にて九州大学のソーシャル・アート・ラボ(SAL)が主催のトークイベント「社会をよみかえる」の第1回が開催された。ゲストは美術家・藤浩志、金沢21世紀美術館キュレーター・鷲田めるろの2名。テーマは「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)をめぐる議論」として、90年代から盛んになったアートプロジェクトなど、社会にかかわる芸術活動について、アーティスト、キュレーター、研究者の立場から語り合うというもの。

 

イベントでは、

J.Jack氏(九州大学特別研究員)がアーティストとしての自分の活動とSEAの考え方を、鷲田めるろ氏がアーティストの活動(アートプロジェクト)を美術館として支援する上での悩みや間違い、成功について詳細に教えて戴いた。藤浩志氏も自身がアーティストとして、参加する人々の主体性を支えるために仕組みをつくっているという、アートプロジェクト=地域のOSという考え方をお示しいただいた。

 

では現場でどんな議論があったのか?次回はそれを観ていこう。